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2010.04.25 (Sun)

巨人・木村拓也コーチの教え

こんにちは、あずきです。

ワタシは以前、巨人の木村拓也コーチのことについて書きましたが
その願いもむなしく、結局、あの方は亡くなられてしまいました。

そして、昨日、追悼式典および追悼試合が行われたのですが
原監督はじめ、チームメイトも、皆、涙、涙・・・。
それを紹介していたテレビの解説者でさえ
目を真っ赤にして、思い出を語っていましたので・・・

野球に詳しくないワタシでさえ、思わず貰い泣きしちゃった次第。

グスン 泣く 涙

本当に惜しい人を亡くしたものです。





でね

ワタシは、昨日まで知らなかったのですが・・・・

あの方は、今年の 『プロ野球新人研修会』 に、講師として招かれていたんですってね。
で、自身がしてきた経験から、彼らにアドバイスをおくっているのです。

昨日の報道で、その一部を知り、感銘を受けたワタシは
早速、その全文を読ませていただいたのですが・・・


彼が話したという、その内容は
本当に素晴らしいと思ったのですよ。

ですから若干長いのですが、皆さんにも、ぜひ一度読んでいただきたいの。


「NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容」

高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。
 
 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
 
 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。
 
 当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。僕は登録されなかった。新聞に任意引退選手と出て、故郷から「2か月でやめるのか」と電話がありました。今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフューチャーズがある。僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず、ひたすら練習。「何しにプロ野球に入ったんだろう」。今の育成は、野球をやるチャンスがある。どんどんアピールして頑張ってほしい。
 
 2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。結局、2年目は3本ヒットを打ちました。
 
 3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。
 
 4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい……僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。
 
 移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
 
 スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐは同じではなく、角度が違う。スイッチヒッターは、練習は人の倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に近いところから来る球がなくなりました。球種が半分になったようなものです。打つのが一番難しいのですが、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。それに気づいてからは打てるようになりました。プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
 
 今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
 
 そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。
 
 最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。
 
 自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。




さて・・・・

皆さんは読んでみて、いかがでしたか?


ワタシはですねーー

これこそ、職業人として、経験に根ざした言葉。

仕事としてプロ野球を選んだ若者にとって
「本当に知っておくべきことは、こういうことだ」 と思いました。

てか、ニュースでも取り上げられていたこの言葉ですが

それでもこの世界で食っていける。
「レギュラーになる、エースになる」だけではない。



「社会で生きていくこと」、「家族を養うため働くこと」 って・・・


あずき顔提言

結局は、こういうことですよね。



うちらの世界でも、行列の出来る店、常に予約でいっぱいの店なんて、ほんの一部です。
てか極端なことを言えば
大多数のお店は、そこにあることさえ気にしてもらえないような存在。

だけど、そこで諦めたら、終わりなんですよ。
だって、たとえヒトがうらやむような店じゃなくても
どうにかやっていく術はあるのですから。

てか、うちの店だって、世間的には全然無名の店ですよ。
店の造りにしろ出してるお料理にしろ、おそらく最上級の割烹とは言い難い。

けれど、「この店ならでは」 というものがあるから
常連さんに支えられ、ここまで来れたと思っているの。

100じゃないからと諦めていては、結局50も得られない人生かも知れないのです。


ですから、仕事を続けていく上で大切なのは

簡単に諦めず、自分を生かせる場所を見つけること。


ワタシが 「女将ヒストリー」 で書きたかったことも、実はそれと同じことなのです。






あらためてご冥福をお祈りします。

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15:01  |  時事問題  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

Comment

感動しました

昨日の谷の満塁逆転ホームランと、その後の涙の
ヒーローインタビューにはジーンときました

始球式で投げた長男、10歳だそうですが、木村拓に
よく似ていて、可愛らしかったですね

そして、今日紹介してくれた彼の講義録、初めて読みましたが
いかにも彼らしい内容で感動しました

2年前くらいにNHKで巨人躍進の影の主役として
木村拓と大道選手を取り上げてましたが、プロの眼でみれば
そうだろうと納得の特集でした

スマップじゃないけど、ナンバーワンよりオンリーワンを目指した
職人魂に私たちは強く引かれたんだと思います
酔虎 |  2010.04.25(日) 17:17 | URL |  【編集】

必要としてくれる場所は必ずある。

就職、超氷河期。
志望する企業、どこからも内定が来ないまま卒業する人も多い今。

世の中は自分を必要としていない。。そう感じてしまうこと。

それはワタシたち自営業でも、お客さまがサア~パリ来ないときに感じますが。。

けっしてそんなことはない。

それまで自分の視野に入っていなかった場所で働くことになっても、
「使ってもらえる」人になることは素晴らしいこと。

木村拓也さんはカープ時代に市民球場でよく、見せていただきました。
あらためてご冥福をお祈りします。
きらりん |  2010.04.25(日) 17:29 | URL |  【編集】

すごいスピーチです。のせていただいただいて、ありがとね。こうでもしなきゃ、あたしゃよめなかったです。
そうですね、どの職業の人にもあてはまるお話ですね。

そうそう、きらりんさんのおっしゃるように、お客さんこないとき、必要とされてないんだ、しょぼーんってなりますよね。

時代とともに変化球をなげていかないとまたこれが、ころころとかわらないといけないのが今の社会ですから、どの業種もたいへんですよね。とはいえ、創業300年とかいうどこかの老舗のお菓子屋さんで昔ながらの。。。
なんかの話をきくたんびに、いいなあ、ずーっとおんなじことしてお金かせげるなんて思いますが、その方達だって、大変なはず。となりの芝が青く見えちゃうんですよね、つい。
はなこ |  2010.04.25(日) 23:12 | URL |  【編集】

コメントありがとうございます

この記事の場合、半分以上が引用なんですが・・・
皆さんにも、とにかく 「読んでいただきたい!」 と思いました。

同じように感動してコメントくださった皆さん、どうもありがとうございます。
けど、ワタシがくだらない記事を書くより、よほど胸に響いたと思うのですよ。

とはいえ
谷選手の感動的なホームランといい
最後にスピーチをする機会を与えられたことといい・・・・

こうなることは、もう、すべて決められていたのでしょうか?
今回の出来事には、何か大きなチカラを感じました。
あずき |  2010.04.27(火) 11:05 | URL |  【編集】

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